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カーナビが付いていない我が愛車。
地図をたよりに「琴ヶ浜」に向かいました。
近くまで来てみたものの、
お目当ての銅像がみつからない。
たまたま近くの駅にいた地元の若者に
道を教えてもらって、
狭い林の中の道を抜け、
やっとこさで到着です
もっと分かりやすくて、
通りやすいルートもあったことに
あとで気付きました。
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このお龍さんと妹・君枝さんの像は、
桂浜の龍馬像の方を向いて立っているらしい。
我が家の天才的おバカ2人が、
さっそくモノマネしていますが、
似ても似つかない。・・・
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「龍馬歴史館」の入口付近にある龍馬像。
桂浜のモノよりはるかに小さいものでした。
懐に手を入れて立っている姿が
おそらく 一番龍馬らしい姿なんでしょうね。
そんなイメージ ありますもんね。
その手に握られているのは
ピストルか 万国公法の本か?
私は多分 その手には何も持っていない、
あるのは「志」。
その胸に大切に持っているとそう思います。
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館内に 入ると龍馬が立っていてびっくり。
蝋人形で、いろんな場面を再現しています。
まるで本物の人間が立っているかのようです。
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↑ 「薩長同盟」締結の場面
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↑ 海援隊の仲間と航海中
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幕末の土佐のもうひとりのヒーロー。
どちらかというと「悲劇のヒーロー」かもしれません。
身分差別の厳しい土佐藩の下級武士(白札郷士)で
ありながら、「尊皇攘夷」の旗の下、
「一藩勤皇」を実現するために「土佐勤皇党」を結成し、
江戸・京都・高知で活躍。
君主「山内容堂」のために懸命に働き、
土佐を時流の中心に押し上げたにも関わらず
「攘夷派」の衰退により、藩から犯罪者として扱われ、
長期の投獄、最後は切腹。
切腹も 誰も出来なかった三の字に切るという壮絶な最期。
この人のこと 私は好きです。
武市瑞山こと武市半平太小楯。 |
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ロウ人形以外にも いろんな展示物があります。
そのうちのひとつ龍馬の師、勝海舟の実書の額。
この他にも、いくつか実物が展示されていました。
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龍馬の妻、お龍。龍馬の死後は不遇だったといいます。土佐の坂本家にも1年くらい世話になったそうですが、
結局出て行ってしまった。その最期は横浜だったと記憶しています。
そんな、あまり高知に縁の無いお龍さんの銅像があるなんて、つい最近まで知りませんでした。
でも その姿は まるで旅立つ龍馬を見送るような姿で立っていました。
「龍馬歴史館」は、蝋人形でいろんな歴史上の人物や、出来事を再現していました。
沢山の観光客で、ゆっくりと見てまわることができなかったので、ちょっと心残りでした。
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